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爪 |
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ぶんぶんぶん -
小説
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桐生たう 新しい仕事は悪くなかった。そうでも思わなければ仕方がない。全てを失って全てが新しく、それがどんなものでも私は受け入れなければならなかった。
引っ越し先にはまだ荷物は届いていなかった。私は家の中を見て回った。床は薄陽を映していてうるさく靴を鳴らした。寝室を兼ねた書斎は狭く、机は備え付けの家具にしては上質すぎるように思えた。使い込まれた感じで小さな傷が幾つもあり、その一つ一つが色濃く浮き出ている。この机でどれだけの人が本を読み、趣味に没頭してきたのだろうか。しかし私にとってここは眠るための部屋でしかなかった。
私は椅子に座り煙草に火を点けた。机の上は磨きあげられていて、これから荷物で埋め尽くされてしまう事が残念に思えた。以前ここに座っていた彼らに整頓してくれる相手はいたのだろうか。
引き出しを一つ一つ開けたみた。木の擦れる感触が指に滑らかに伝わる。きちんと蝋が塗られているのだろう。私は中央の引き出しを開けた。何もないはずのそこは、一冊のノートと小さな灰皿が入っていた。私は灰皿を取り出し煙草をもみ消した。
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人類が立てた計画 |
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ぶんぶんぶん -
小説
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森崎新糸 「おい、今日の運勢、『とにかく慎重に』だってさ。おまえは?」 「俺はね……あっ、『さわらぬ神に祟りなし』だって。なんとなく似てるな」 若い二人の男が小道を歩いていた。まわりは田園風景が広がり、春の訪れを感じさせるあたたかいそよ風が吹いている。天気にも恵まれたので、二人は今評判の「大きな街」に出かけることにしたのだ。 「しかしまあ、二人ともいい運勢とは言えないな。せっかくこんな、陽気がいいのに」 「所詮は占いだよ。気にせずにいこう」 二人が雑誌を読みながら歩いていると、向こうから少女が歩いてきた。整った顔だち・均整のとれた体に、白を基調にした服装がよく似合う。彼女がいることによってまわりの快い風景がますますひきたてられた。 「やあ」 「いい天気だね」 と、二人が声をかける。 「ほんと、いい気分よね。あ、その雑誌、占い載ってるでしょ。見せて見せて」 少女はニコニコしながら言った。二人と少女は知り合いだった。 |
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猫的な女 |
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ぶんぶんぶん -
エッセイ
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綾部貴子 以前、数人で飲みに行ったとき、誰々を動物にたとえるとなんになるか、という話になった。 最初は共通の知り合いのことなどを、ああでもないこうでもないと話していたのだが、次第に自分たちはどうかということになった。 「あんたはヤギだ」「あんたの歯の出具合はリスだ」などと言い合っているうち、一緒にいたある女の子に話が向いた。 「自分は猫だと思うわ」 彼女がそう言った時、一同が沈黙した。あまりに意外な言葉だったのだ。 気まずい雰囲気に、彼女はあきらかに傷ついたようで、「えー、そうかしら、私、猫じゃないかしら」と繰り返していたが、誰も否定も肯定もできなかった。 |
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このはしとおるな |
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ぶんぶんぶん -
小説
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森崎新糸 「おい、今日の運勢、『とにかく慎重に』だってさ。おまえは?」 「俺はね……あっ、『さわらぬ神に祟りなし』だって。なんとなく似てるな」 若い二人の男が小道を歩いていた。まわりは田園風景が広がり、春の訪れを感じさせるあたたかいそよ風が吹いている。天気にも恵まれたので、二人は今評判の「大きな街」に出かけることにしたのだ。 「しかしまあ、二人ともいい運勢とは言えないな。せっかくこんな、陽気がいいのに」 「所詮は占いだよ。気にせずにいこう」
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東京 |
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ぶんぶんぶん -
小説
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綾部貴子最近よく聴いているサニーデイ・サービスというグループの『東京』というアルバムに『恋色の街角』という曲がある。 「地図を作って印をつけて/行きたかったお店に行けば/そこにはきっと会いたかった人なんかがいるに違いない/……」という詞で始まり、「格好良いものばかりずらっと」並んだショーウィンドウを眺めながら街を歩き、「物語が駆け込んで来る」という予感に胸をときめかせる、といった内容がうたわれる。 |
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私の愛した男たち III |
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ぶんぶんぶん -
小説
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石井 淳子 電話が鳴った。
私は読みさしのペイパーバックをコーヒーテーブルに伏せ、ひざ掛けを脇によけて立ち上がった。春とは名ばかりで、夜はまだ冷える。テーブルの上の置き時計に目をやると、もう夜の十一時半をまわっていた。今日は夫は出張で不在だ。誰だろう、こんな時間に。
静まりかえったリビングで、電話は執拗に鳴り続けている。息を整えてから受話器を取った。
「もしもし」
「……」
いたずら電話に違いない、と思ったその時。
「……石井さんの奥さん、ですか」
押し殺した低い声だったが、聞き違いようがなかった。あの男。
「どうしているかと思って」
それはこっちの台詞だった。二年ほどつきあった後、振られたのは私の方だ。目をぎゅっとつぶってうつむいて髪をかきあげた。この姿勢でなら痛みに耐えられるとでもいうように。
「会いたいんだけど」
「どうしてよ。今さら、何の用なの」
「……」 |
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犬は吠えるが、バラ線越は続く。 |
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ぶんぶんぶん -
随筆
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氷見 公美恵「バラ線越え」。 千葉県の片隅、K女子寮で暮らす122人の 女子大生たちは、門限破りのことをそう呼んでいた。いや、きっと今もそう呼ばれているに違いない。 K寮の門限は致命的な 時。合コンではこれから2次会、テレビでは茶の間の話題をさらうドラマが始まろうという時間である。 その 時に1分、1秒たりも遅れてはいけない。恐るべき罰則—風呂掃除(4畳半ほどの浴槽が2つもある!)、草むしり(夏期のみ。炎天下のなか、テニスコートの周りを何周も)、夕食後の後片付け、挙げ句の果てに1ヵ月の外泊禁止が、彼女たちを待っていた。 だから122人の女子大生たちは、その2m はある金網の上、五線譜のように張られたバラ線を、毎夜毎夜越えてくるのである。 バラ線を越えるまでの手順はこうだ。外から友人に電話を入れ、門限までに帰ることができないと伝える。伝えられた友人が果たすべき役割は2つ。1・電話を 切ると素早く玄関へと走り、彼女があたかも部屋にいるように、点呼ノートにその子の名前を書く。2・彼女が登ってくるばら線に一番近い場所の非常口を開け ておく。そしてその子が部屋のドアをノックしてくれるまで、ビクビクしながら時を過ごすのである。 |
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木の実小径 |
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ぶんぶんぶん -
エッセイ
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桐生たうHeaven Hill この丘からはすべてが見える。
この丘からはどんなに小さいものも見ることができる。
陽の当たる坂道での幼子のいたずらや、街灯のちらつく裏道での酔っ払いの独り言。
冷たい風の中のいたわりの眼差し、ぬるい空気の中で企まれる陰謀。
寝覚めた独り寝の冷たい憤りも、ささやかに営まれる木々の息吹も、
隠されるべき優しい真実も、明かされるべく黒い真実も、
ここからはそのすべてを見ることができる。
この丘では、人は嘘をつくことができない。
この丘で、人はみな裸にならなければならない。
人はこの丘で、覚えのない賞賛を受けることもあるし、
人はこの丘でどんな小さな罪も償わなければならない。
小さな丘だ。
なんの違いがあろう。
どんな丘とも。
それでもこの丘からはすべてが見える。
この丘からはどんな小さなものも見ることができる。 |
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人生が二度あれば Part2 |
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ぶんぶんぶん -
小説
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アタシ、昨日まで女だったんです。あらやだ、まだ女のときの口調になってるわ。もとい、ワシは、いやオレは、 うーんと、ボクは昨日まで女だったの。いや、女だったんでゴワす。いやいやいくらなんでも「ゴワす」はないだろう。まだ男言葉に不慣れなものでごめんなさ い。実はボク、昨日性転換手術を受けてついに男になったんだ。今日から男としての第一歩。あぁどうしよう、うれしいような悲しいような、恥ずかしいような ザマアミロのような、不安が一杯のようで希望も一杯、ドキドキしながらワクワクしてる。 |
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バニーガールのためいき |
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ぶんぶんぶん -
小説
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本田ノリコ まず、心の中に、傷を持っているということ。そして、その傷に気づかずに、静かに戸惑いという血を流し続けてい るということ。その姿は、小さな動物が、物音におびえて震えている様を思い出させる。怖がらなくていいのよ。こっちにおいで。私が抱いていてあげる。私の 手の中で、「安心して」震える動物を見て、私はいとおしさでいっぱいになる。 でも、最初にあの男を見た時は、傷ひとつない様に見えた。どちらかというと、そんなものに気づかないぐらい鈍感で、元気で、偉そうなやつなんだろうな、ぐらいに思っていた。あの男は、私の中でどうでもいい存在だったのだ。あの瞬間までは。 引っ越しをして、一人になった私は、穏やかに暮らしていた。 |
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高級食品るさんちまん |
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ぶんぶんぶん -
エッセイ
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秋田コリス2月7日のフジTV『料理の鉄人』のテーマ食材はタカアシガニだった。 私はこの番組を夫と一緒に見ていた。数匹のタカアシガニ※がいる大きな水槽に鉄人と挑戦者が歩み寄り、カニを選ぶ。挑戦者がまないたに乗せたのは、脚を広げると3メートルはあるという巨大なやつだった。 私が最後にカニと名のつくものを食べたのはいつだったろう。確か昨年の夏だ。新木場の南砂町運河で釣り上げたガザミをダシにした味噌汁を食べた。それ以 前、もっとまともに「カニを食べた」いえるのはいつだったか、ということになると、もうおととしの秋になる。アメヨコで上海蟹を何匹か買ってきて、家で蒸 して食べた。いずれにしても、タカアシガニとは比べものにならないくらい小さい。 ブラウン管の中では、挑戦者がカニの甲羅をガポッと開けたところだった。 「あれくらい大きいものになると、カニにもちゃんと内蔵があることがわかるねえ」 と、妙なことに感心しながら夫に言うと、 「あれくらい大きいとミソもいっぱい詰まってるだろうなあ」 と、彼も半ば感嘆しながら言う。 |
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ちどり足/古井戸 |
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渡良瀬物語 -
渡良瀬物語
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毎日酔っていたような時代があった。
不思議と夏の夕方に限って線を引いていく飛行機雲。 海から遠く離れた人口五万足らずの田舎の街にも、南風はいつも潮の匂いを運んできた。 |
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バレリーナの孤独 |
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小説
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高柳あきら その日もいつものようにバーレッスンから始まった。時間前に各自で充分なストレッチを済ませ、すでに汗をにじま せながらバーに向かう。シニヨンからはみ出した後れ毛がしっとりと濡れている。心地よいほどに暖まった体が、柔らかくバーに沿う。バーは何人もの体を静か にうけ止めている。滑らかなピアノの音。腕は三番、足は一番にして息を吸いながらゆっくりと体を倒してゆく。そして少しずつ息を吐きながら、倒すときより も更にゆっくり体を起こす。空にそっと筆を降ろすように優しく撫でる指先。プリエから前横後ろとバットマン・タンジュ。ドゥミ・ポワントのルルヴェをして バーの手を離し五番へ。 ピアノはアップテンポに変わった。股関節から爪先までがせわしなく動く。上半身は何事もないかのように、表情はあくまでも穏やかに保つ。バーには手を添え るほどに、むしろバーなどないものと思わなければならない。どうしても意識が爪先に集中しすぎるせいかバーを握りしめてしまうと、ギシッとい微かな軌みが 注意を促してくれる。少し息が荒くなるが。決して苦しい顔は見せられない。パッセ、パ・ド・ブーレ、アッサンブレ、ジュテ、パ・ド・ブーレ—一連の動きを 右へ左へと何度も繰り返す。 |
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記 録 |
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ぶんぶんぶん -
エッセイ
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ドコレ・ドルワ 記録の季節がまたやってきました。 オリンピックの世界新記録連発のラッシュの前触れが、カール・リプケンの連続野球試合出場「世界記録」でした。日本のマスコミが騒いでいましたが、衣笠祥雄の日本記録に並ぶ試合の球場の客入りはたったの5割でしかありませんでした。 カール・リプケンがもう既に大リーグの記録を達成した時にアメリカの騒ぎは終わりました。「世界記録」と日本のマスコミは大騒ぎになっていましたが、いったい「世界記録」は何の意味を持つものでしょうか。 アメリカでは大リーグは「世界」を意味します。ところが、日本では「世界」が日本とアメリカのプロ野球のことらしいのです。 連続試合の「記録」を達成した時に、もっとも冷静だったのはリプケン本人はもちろんですが、この記録を冷静に見つめるもう一人の人物がいました。デーブ・ジョンソンです。巨人にいたあのジョンソンです。 |
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猫 の 手 |
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ぶんぶんぶん -
小説
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加々見りら 今夜はめずらしく酔っぱらってしまった。深夜、帰宅して、化粧も落とさずやっとパジャマに着替えると布団に潜りこみ、そのまま深い眠りにおちた。 〈ちょっとちょっと、起きてくださいよ。早くしないと。大事なおはなしがあるんです、起きてください。わたし、お帰りを待ってたんですから…〉 くぐもった声がして、頬をひたひたっと湿った肉球が触る。ええい、なんだようるさいなあ、まだ真っ暗じゃないの、寝かせてよー。 〈ぅにゃあっ、わたしを払い除けましたね?そうですか、そんならわたしにも考えがあります。ほら、こうしてやるうううううっ!〉 バリバリッ!バリバリバリバリ… わ、なんだなんだ?見回すと暗い部屋の中ででっかい白猫のシルエットがせっせと枕元でシーツに爪を立てている。 「…ぅあ!ちょっとりゅうのすけ、やめてよ、そんなとこに爪立てるの!」 〈いえいえ、りらさんが起きてくださるまで、やめません!バリバリバりッ〉 と、ますます躍起になって爪を研ぎ続ける。ひっつかまえてやろうと手を伸ばしたが、普段はおっとりデブ猫のくせに、するりとその手をかわして、今度は足元 のカーペットをガリガリやりはじめた。猫の鋭い爪が容赦なくカーペットに食い込み、ループが引きずり出されてビロビロになっていくのが音でわかる。 |
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崖の女 |
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ぶんぶんぶん -
小説
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土井マクベス 河原の道路では、キャッチボールをしていた。これから始まる試合のウォーミングアップのようだ。隣のグランドでは、試合の掛け声や応援が五月の澄みきった空に響いていた。河川へ通じる急傾斜な自動車道まであふれてトレーニングをしている。正面グランドの試合が長引いているのが、トスバッティングをする選手のイライラでわかった。こぼれ球に注意を払いながら、その脇を通って道路を渡った。トスの打球がオーバーして、ごめんごめんと謝る声が聞こえた。 公園の入り口でアイスキャンディを買った。自転車の荷台にくくりつけた幟の「昔懐かしい味」というコピーにつられてしまった。一本五〇〇円だというので思わず、高い!と叫んだら、若いキャンディ売りは、引きつった笑みを浮かべ、仕方がないという表情を示してから言った。 「わたしのせいじゃないの。亭主がこの値段で売れと命じるの」 そう言われると男の影に怯えて引っ込みもつかなくなって買ってしまった。一本を二人で食べるほど、親しいわけではないから、二本求めて、連れの女に一本を渡した。 「キャンディを食べると幼少の頃を思いだすんだよ。あ、幼少というのは、殿さまのような位の高い人の子供時代を尊称する言葉らしい」 今、買ったアイスキャンディを食べながら、哲也は女の方に眼を向けた。 「ということを、昨日生徒に教わったよ」 女はクスッと笑った。 |
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