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夜空のダンス |
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ぶんぶんぶん -
小説
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森崎 新糸 なんで、生きてんのかな? ——— そんなことを考えるようになったのは、ごく最近だ。半年くらい前からこの日本(なぜか日本だけ)に起こり始めた数々の奇妙な現象に、最初は少々驚い た。……が、もう慣れた、と言うよりどうでもよくなってしまった。知識人たちが、結論がでないと分かっている討議を繰り返し、諸外国が、いい機会だとばか りに市場開放の圧力をかけ、政府・官僚機構が、「国家って、結局なんなんだ?」と茫然と思っているとき、———ぼくを含めた学生たちは、「ほっといてく れ」と言って、『日本』というダンス会場から離れつつあった。 (踊りにきませんか?) (自由に) (好きな) (ダンスを ) ………………夢だった。 目の前は一面、夜空だった。『宇宙』ではなく、『夜空』だった。見えたものはそれだけで、あとは声が聞こえてくるだけだった。 |
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うわさ |
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ぶんぶんぶん -
小説
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只見徳之助 昭和四十四年四月三日、剛 の小学校時代の同級生、平田香子が死んだ。翌日、電話のない剛のアパートへ、級友だった田中が知らせに来た。 「心臓発作だってさ」 「……」 「女子高時代の友達の家で倒れたんだってさ。近くの病院で息を引き取ったらしい…」 田中は、香子の母親から聞いたことを剛に伝えた。小学校卒業までの三年間、剛は香子と同じクラスで過ごしたが、心臓の弱かったことを初めて聞いた。 「告別式は六日だってさ。お前も出てくれるだろ?」 剛は頷いたが、突然の訃報をすぐには受け止めかねていた。香子の顔が浮かんできたとき、誕生日のことに思い当たった。 「彼女は確か、四月二十日生まれだったよな?」 今度は田中が首を傾げた。香子が誕生日を迎えていれば、一月生まれの剛より先に二十歳になるはずだった。 田中が帰ったあと、剛は小学校の卒業アルバムを押入れから引っ張り出した。ページを繰っていくうちに、遠足のスナップ写真に目を止めた。芝生に敷いたビニールシートの上で、香子と母親が並んで座っている。足を前に投げ出した香子は、おにぎりを頬張りながらおどけた顔で写っている。隣に座った母親も、嬉しそうな表情を浮かべて座っている。 写真の日から、八年以上が過ぎていた。 |
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阿波おどり考 |
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ぶんぶんぶん -
紀行
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福代裕康 踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々……。
「よしこの節」の囃唄でおなじみの阿波おどりは、いまや世界に進出している。
昨夏、阿波おどりを徳島市に見る機会を得た。本場の阿波おどりに接してみて、なるほど、世界に進出するだけのことはあるなと思った。「歴史は足にて知るべきものなり」という。これは、江戸時代に『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を著述した秋田孝季のいったことばであるが、まさにそのことを体験した思いだった。
阿波おどりの起源については、蜂須賀家政が天正十五年(一五七八)に徳島城を完成させたとき、無礼講で町人たちがお祝いに城内を踊り回ったことによると観光パンフレットなどにある。また、精霊踊りであったものから発展したという説もある。
いずれにしても、染料としての藍で経済力をもった阿波の藍商人が、踊りを発展させ、豪華なものにした。藍は肥沃な土地でないと育たない。阿波の北方といわれる吉野川流域が、日本最大の藍栽培地帯となったのは、吉野川が氾濫してもたらす肥沃な土壌のおかげである。元禄時代に全国的に木綿が普及し、その染料として藍の需要が高まり、阿波の藍商人は巨額の富を得たのである。
それはちょうど、ナイル川とピラミッドの関係に似ている。ナイル川が毎年定期的に氾濫し、下流地帯に肥沃な土壌を形成、豊かな実りをもたらせた結果、古代エジプト王朝を繁栄させた。それがあのピラミッド群につながったように、阿波おどりは、富裕な藍商人を生み出した四国三郎といわれる吉野川と深い関係があったことになる。
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胃潰瘍のコペルニクス的転回 |
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ぶんぶんぶん -
エッセイ
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福代裕康 編集者の職業病といわれるものに、痔・腰痛・肩こり・胃潰瘍がある。このほか病気とはいえないまでも、慢性的な睡眠不足・酷使からくる眼精疲労や、はては飲みすぎ吸いすぎによる不快感は常につきまとっている。 これらのことと無縁だなどという者は、編集者ではない、といってよい。 ポーランドだったかハンガリーだかの統計によると、いちばん短命な職種はマスコミであるという。むべなるかな。こういうことは、洋の東西を問わない。 日本はいまや世界一長寿国というが、われわれ編集者は懸命にこのデータの足を引っ張っているのだ。
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広告は「尋ね人」にはじまった? |
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ぶんぶんぶん -
エッセイ
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広告の歴史は古い。広告の範囲を、宗教広告や政治広告にまで広げると、その歴史はほとんど人類の歴史と同じくらい古い。 が、いま私たちが現物を見ることのできる世界最古の広告は、約三千年前、古代エジプトのテーベの町に貼られた「尋ね人広告」である 広告主は織匠ハプ氏。パピルスに書かれたそのコピーには、「逃げた奴隷のシェムをつかまえてくれた人には、お礼を差し上げる」という趣旨のことが記されている。 「尋ね人」を広義に「求人」と理解すれば、これは現存する世界最古の求人広告であり、求人広告の第一号である。 |
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フェリーニ・フェリーニ |
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ぶんぶんぶん -
随筆
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竹屋沙緒竹 目が覚めたらもう9時半だった。テレビをつけ、チャンネルをあちこち回していたらモノクロ映画が目についた。前後のチャンネルから想像するに、3チャンネルの番組らしい。若い頃のマルチェロ・マストロヤンニが映っている。 タイトルが分からない。でも面白そうだったので、そのままにしておいた。 ラストシーン。そしてロココ調の飾り文字が黒い画面に浮かぶ。 “8 1/2”。ああ、フェデリコ・フェリーニの映画だったのか…。 ★ フェリーニの映画はこれまで2本だけ見たことがある。大道芸人ザンパノと彼に買われた娘、ジェルソミーナの物語「道」と「ボイス・オヴ・ムーン」だ。「道」は今また見ても目頭が熱くなってしまうだろうナ。 どんな映画監督でも皆それぞれに得意分野というものを持っているが、フェリーニは悲劇だ。 物語は保養地の温泉地で始まる。 |
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1996年の餓死-「宗教的 」なものをめぐって |
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ぶんぶんぶん -
評論
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三宅秀典 今年の4月、池袋のアパートで二人の死体が発見された。死んでいたのは歳の女性と歳の病気がちなその息子で、死因は餓死、死後数週間がたっていた。 私はこのニュースを夕食時のテレビの報道で知り、何ともやりきれない気持ちに襲われた。 日本という国がいかに先進国面しようと福祉という点では二流、三流の国家でしかないことはわかってはいたつもりだが、なぜ歳老いた母と病気の息子が餓え死にしなければならないのか。また、死後数週間も誰もその死に気づかないというのは一体どういうことなのか。餓死に追いやられた、あるいは餓死という死を選んだこの母子はどういう生き方をしてきたのか。 私は翌日の新聞の報道でこの母子が住んでいたアパートが、私の住む部屋のすぐ近くであることを知った。歩いても1〜2分の距離だろうか。生活圏が重なるということもあって、生存中は一度か二度は顔を合わせたことがあるかも知れないこの母子のことがしばらく私の頭を離れなかった。 その時私の心を強くとらえたものは、「高度に発達した社会」で、餓死という極めて原始的な死に方をしなければならないところまでこの母子を追い込んだ行政の怠慢に対する怒りであり、それを許した社会への不信であったと思う。また、行政や社会にその苦境を訴えることなく死んでいったこの母子の生のあり様、生き方への関心であったと思う。 |
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猫にはカツオブシ |
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ぶんぶんぶん -
小説
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硬結田信樹(かたゆたしのき) 我が家の猫は、たぶん雑種だ。路傍のダンボール、よくある捨てられ方で雨に濡れていたのを、僕が拾ってきた。高価でもなんでもない。だからはじめはその電話を、なにかの冗談だと思った。
鼻をつまんでいることが想像できるあきらかな作り声が、こういった。 「お宅の猫を預かっている。返して欲しくば俺のいう通りにしろ。今から二四時間以内に鰹節を五百本用意して、応接間のテーブルの上に積んでおけ。それが身代金だ。取り引き方法は、また追って連絡する」
夜になって会社から帰ってきたとうさんにこのことをいうと、とうさんの目も点になった.。でも現実に猫……名前はデンスケ……は、三日ほど前からいなくなってしまっていた。だからとうさんは電話を信じたようだった。
「また連絡するっていってたから、警察に知らせて逆探知をしてもらおうよ」
僕の提案に大きく頷くと、とうさんは早速110番した。ただ、猫がさらわれたくらいのことで刑事さんが来てくれるなど、期待しないほうがいいだろう、とは僕も思っていた。僕だってもう中学生、その程度の常識はある。
案の定、電話を切ったとうさんは落胆の溜め息をついた。
「逆探知というのは、裁判官の令状がいるんだそうだよ。プライバシーに関わることだから、滅多なことでは許可にならないらしい。猫の誘拐では無理だというんだ。まあでも、悪質ないたずらには違いないから、刑事さんを寄越すそうだ」
刑事さんが来るまで、とうさんは苛立っていた。デンスケを拾ってきたのは僕だけど、とうさんのほうがずっと可愛がっていた。心配なんだろう。
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ポテトチップスの午後 |
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ぶんぶんぶん -
小説
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高島 平 マンモス団地の脇にある公園は、日曜日の午後にも関らず、いつもよりは閑散としていた。ブランコに乗っている幼児が、その母親らしい女に背中を押され、キャッキャッと声をあげているほかは、二人の老婆がベンチに腰かけてスナック菓子の袋を片手に、何やら世間話をしている程度だ。
「平和なものだ……」
服部貫一は久々の休日を公園の散歩でも楽しもうと、ブラブラ歩いていた。
老婆たちが座っているベンチの前を通ろうとしたときだった。老婆の手からスナック菓子の袋が力サッと音を立てて、貫一の歩調にぴったり合わせたように落ちた。
あっ、と思った瞬間、お菓子は無残にも貫一のスニーカーの下敷きになってグジャッと悲鳴をあげ、眠たげな午後の空気に細い亀裂が走った。
袋の中身は半分ほど粉々になっていた。
「ああ、おばあちゃん、ごめんね」
貫一は菓子袋を拾い上げ、老婆の一人に渡した。
老婆は無言のまま、手渡されたポテトチップスの残骸が入った袋をうらめしそうに見ていた。
もう一人の老婆が貫一を見上げて、歯のない口でニャッと笑い、貫一のズボンの股あたりを雛くちゃの指で引っ張った。貫一はその手を払いのけたい衝動にかられたが、思いとどまって少し後ずさりしながら老婆の手を軽く握り返し、そのまま愛想笑いをしてやり過ごした。
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やぶにらみの「カラス考」 |
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ぶんぶんぶん -
詩歌
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福代 裕康 カラスに興味がある。 この鳥は、都市の住宅地に住む者にとっていま最も身近な野鳥である。以前は、その地位をスズメが占めていたものだが。 スズメがめっきり減ったのは、えさを提供する都市部住宅地の自然環境がわるくなったためである。同じ条件下なのにカラスは減らず、むしろ増えているのは、 人が回収用に出したゴミ袋を破って、生ゴミや残飯を糧としているからだ。からだの小さいスズメは、ゴミ袋を破る知恵と体力がないので、都市の住宅地を去っ ていかざるをえない。 か なり以前、仕事であるカメラマンを紹介された。紹介者が「この人は、闇夜にカラスを撮るのが趣味という変わり者だよ」という。ずいぶん風変わりな紹介のさ れ方だか、口数が少なく、なんとなく哲学者めいた風貌のカメラマンの顔を見ながら、真っ黒な画面のなかに、カラスの目玉とくちばしがほの見える情景を想像 した。ストロボを焚いて撮るのか、月光浴みたいにして撮るのか訊きもせず、勝手にそんな情景が浮かんだ。そのころは、カラスになぞなんの興味もなかったか ら、写真を見たいとも思わなかった。いまとなっては、闇夜のカラスというテツガクテキな写真を見ておけばよかったと悔やまれる。 |
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古河第二高等学校 |
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渡良瀬物語 -
渡良瀬逍遥
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 今は立派に共学(男がいる!)となっているが、かつては言わずとしれたお宝満載の女子校(厳密ではない)。 YもM1もTもM2も輝く可愛い女子高校生だった。
当時の彼女らの膝上15センチのスカートは、風に吹かれてどこでも物議をかもしたものだ。
今の見せるための超ミニスカートには、おじさんは色々と言いたいことがあるが、とりあえず今は健康美をありがとうとだけ、言っておこう。
ちなみに初めてのデートの相手はこの学校の2年生。二目惚れでした。 |
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「イラナイ 」 |
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ぶんぶんぶん -
エッセイ
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氷見公美恵 朝起きると心は斜になっていて、私はこころの赴くままに会社に行くのをやめた。会社には具合の悪そうな声で電話をした。寝起きの声など、誰しも少し具合が悪そうに聞こえるものだ。 布団からはい出て、脂ぎった顔を洗い、簡単な身支度をすませると、ジュウタンに仰向けに寝転んだまま、しばらく天井の模様を追いかけていた。 昨日、私は会社からいらない人になった。はっきりと誰かから「いらない」と言われたわけではなかったが、誰もがそう感じているらしかった。私に与えられた選択肢は三つ。答えを出すのは月曜日。けれど、どの選択肢を選んだとしても、それらは道の向こうでひとつに結ばれてあるように思えた。 目をつぶって指をさしたとしても、ペンを転がしたとしても。 そんな情況から早く抜け出すために、なにかを探すわけでもなかった。ただジッとしていた。いらない人になってしまったのに、体がそこに存在する悲しさを呪うだけだった。 |
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私の愛したオトコたち II ロシア人編 |
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ぶんぶんぶん -
エッセイ
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石井淳子 前回、私の中国での生活ぶりを書いたので、今回も中国におつきあいいただこう。 私は中国に二年滞在し、一年目は中国語のトレーニングを受け、二年目で専門の民族学に取り組んだ。今回書くのは一年目のできごとである。 私のいた中国語のクラスは、日本で言うなら大学で中国語学を専攻したくらいのレベルである。なぜ「日本で言うなら」なのかというと、日本人には当たり前の漢字の読み書きが、欧米人にはそうではないからである。私のクラスメイトでルームメイトでもあった、中国語歴八年のドイツ人のベティーナ女史は、ある日授業で「胡蝶」という単語がわからなかった。日本人なら中学生でもわかる。中国語歴二年足らずの私が意味を教えてやると、大いにプライドが傷ついたと見えて、部屋でもしばらく口をきいてくれなくなった。 そのとき私より二つ上の研究科にいたのが、ロシア人のキリル・スーニンだった。研究科は日本人にとって前期博士過程くらいのレベルだから、ロシア人にとってはどれくらいなのか、見当もつかない。研究科の定期試験たるや凄まじいもので、試験当日の人民日報の一面を初見で音読させ、要旨をまとめるのはもちろん、その件の歴史的背景や中国の政策の中での位置づけだの、中国社会への影響だのを(もちろん中国語で)口述させられる。人民日報の一面は、日本人でもお目にかかったことすらない漢字が随所に出てくる、厄介な代物だ。さらにそれをアクセントまで違えずに音読するというのは、並大抵のことではない。実際そのクラスには彼一人しかいなかった。 |
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佐藤くんのため息--現代写植屋列伝3 |
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ぶんぶんぶん -
身辺雑記
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梅之助 私、佐藤です。佐藤淳一といいます。「コダマ企画」っていう会社で電算写植のオペレーターをしています。社長を含めて3人という小さな会社です。 社長は児玉清といいます。いつも窓の外を眺めていて、時々フーッとため息をついたりしています。 「コダマ企画」というのだから、小さいながらもやはりそれなりの会社じゃないか、と思って下さる方、たぶんいないでしょうが、やはりそれだけの会社です。いつか「未来はみんなにやってくる」、とリンゴ株式会社の方たちが慰めてくれましたが、どうも深読みしすぎたようで、窓の外に未来を見ている社長の本業は、写植屋さん以外の何ものでもありません。 まあ企画、制作、編集、写植、印刷等々、思いつくままを表のカンバンにはのせておりますが、数打ちゃ当たる方式なのか、とにかく「コダマ企画」の食卓はにぎやかです。 ところで、カンバンと言えばトヨタ自動車のカンバン方式は有名ですが、無理を通せば道理が引っ込むこの業界も負けてはいられません。一応製造業の部類に入るのでしょうが、さて何を製造しているのでしょうか。はっきり言えば、製造手伝業でしょうか。一代でこの会社を築きあげたと豪語するウスラは、もとい児玉社長は数年前、業界新聞(顔写真入)で「プロの作る組版技術の美しさは永遠であり、どこの馬の骨がわからないDTPなんて問題じゃない」、と語っていました。 私はその当時ウブだったものですから、尊敬と憧れの目をウスラ、もとい児玉社長に向けたものでした。今にして思えば、あれが社会の私に対する愛のムチだったんだと納得できます。もちろん私が縄やムチで感じる性癖だといっているのではありません。ホントです。話がそれてしまいました。こめんなさい。実は先日のことです。 名を知れば誰もが土下座する、ある有名な広告代理店から仕事が入りました。社長は喜んで先方の指定した日時に出かけていきました。地下鉄とJRの乗り継ぎで1時間程かかるその会社に着いた社長を待ち受けていたものは、さて何だったのでしょう? 担当者は会議中とかで、分も待たされたあげく、会議を終えた担当者はこうのたまいましたとさ。 |
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死んだものたちについての記憶 |
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ぶんぶんぶん -
身辺雑記
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三宅秀典 ●三宅 タケオ(父方の祖父)小学生の頃。死因は知らない。禿げた頭(あるいは坊主頭だったのか)と白くて長い顎髭が記憶に残っている。時々訪ねて来たときには、竹とんぼのようなものをお土産にもらった。めったに会うこともなかったので肉親の死という感じは今もない。 ● 山口 ツマ(母方の祖母)中学生の頃。死因は多分老衰。ガッシリした人で体も丈夫だった。それだけに老いは精神の方から始まり、多少ボケの症状が現れた。生活は苦しく、孫の一人が先天性の脳性小児マヒ、小学生だった僕に「孫のおまえたちにあげる小遣いもない」と涙声で話した彼女が時折口にした言葉は「地獄も極楽もこの世のこと」だった。しかし彼女には駈け落ちという情熱的な過去もあった。 ●平田 完次(小学校、中学校の同級生)高校1年の時。死因は交通事故らしい。高校1年の時たまたますれちがった中学時代の同級生福島から彼の死を聞かされた。その日は葬式だったらしく彼は参列に向かう途中で、僕にも一緒に行かないかと誘ったが行かなかった。なぜ行かなかったのだろうか。福岡高校の制服、制帽の優等生、福島が気に入らなかったからかもしれない。 |
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飯田橋むかしむかし |
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ぶんぶんぶん -
エッセイ
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茂木益雄 つくづくと東京都千代田区飯田橋に生まれてよかったと思っているこのごろです。 親父は新潟出身、おふくろは東京生まれ。そして当然のことながら武士でもない、公方でもない。百姓生まれ、職人育ちであったようです。この間に生まれた「立派な」子供は、お膝元・麹町の生まれ育ちです(特別な意味なし)。 しかし、山手でもない下町でもないこの飯田橋に生まれ育って、本当に幸せをいま感じとっているのも事実なのです。少々皮肉を含めて、いま千代田区に生まれ育ち、学校へ行って、結婚して子供を育て、その上にこの地で仕事をし続けて六十数年、こんな幸せなやつがこの千代田区にいま何人いるのだろうか、本当に数えてみたい気がします。 |
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