火曜日, 07.09.2010


猫的な女 PDF 印刷
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悪い良い 
ぶんぶんぶん - エッセイ

綾部貴子

 以前、数人で飲みに行ったとき、誰々を動物にたとえるとなんになるか、という話になった。

 最初は共通の知り合いのことなどを、ああでもないこうでもないと話していたのだが、次第に自分たちはどうかということになった。

 「あんたはヤギだ」「あんたの歯の出具合はリスだ」などと言い合っているうち、一緒にいたある女の子に話が向いた。

 「自分は猫だと思うわ」

 彼女がそう言った時、一同が沈黙した。あまりに意外な言葉だったのだ。

 気まずい雰囲気に、彼女はあきらかに傷ついたようで、「えー、そうかしら、私、猫じゃないかしら」と繰り返していたが、誰も否定も肯定もできなかった。

 

 人を動物にたとえるとき、容姿だけが問題になるわけでなく、仕草やしゃべり方、性格、雰囲気といったトータルなイメージが、ある動物に投影される。あるひとが自分自身に対して持っている(あるいは、自分はこうでありたいと思う)イメージと、周囲の者がそのひとに対して抱いているイメージとの間に、あまりのギャップがあると、こういう悲劇が起こる。

 「その動物に対して各自が持つイメージに違いがあるのではないか」と言うひとがあるかもしれないが、差はないはずだ。でなければこういう話題で盛り上がることはできない。酒席でのタブーには、宗教と政治の話の他に、人を動物にたとえる話も加えたほうがいいだろう。そうでないと、思いがけずひとを傷つけることになり、酒がまずくなる。

 ところで、「タヌキおやじ」とか「キツネのようにずる賢い」とか、なにかと人は動物にたとえられるが、さっきの女の子ではないが、多くの女性は、猫みたいだと言われて悪い気はしない。

 「都会の野性」ともいうべき猫は、身近な動物だけに愛好者も多く、彼らはよく「身勝手なところがなんともニクイ」などと言う。気まぐれで、人を翻弄する小悪魔的なところが魅力的なのだと語る。「猫みたいな女性」と言われれば、そういう魅力なりイメージを持っているように見られているわけだから、悪い気がするはずもない。

 同じネコ科でも、私はOLをしていた二十代の頃、後輩の女子社員から、「——さんはライオンみたい」と言われたことがある。男ならともかく、女の私に対してこれはどういうことか。正直言って、少々ショックだった。しかし、よく考えてみれば、言いたいことはズケズケ言うし、態度はでかいしで、百獣の王のごとく傲慢な女に思われていても仕方がない。あの「ライオン」は言いえて妙だったと今でも思う。ちなみに、現在の私は、夫いわく、映画『ジュラシック・パーク』に出てくる緑色の粘液を吐く小型の恐竜(名前は失念した)だそうである。

 ところで、男性に「好きなタイプの女性を動物で答えてください」というアンケートを取ったら、どんな結果が出るだろう。私は、猫を筆頭に、豹、ウサギ(リス)といったある種の動物に限られるのではないかと思う。実際に統計をとったわけではないので、これはあくまで想像だが、豹のイメージはセクシーでゴージャス、反対にウサギやリスは、ちょこちょこと愛らしく、放って置けないイメージ、猫は先ほど述べた通りだ。

 では、逆に嫌いなタイプの女性を動物で答えてもらったらどうか。サル、ヒヒ、ヘビ、キツネ、カラス……、ある程度の傾向はあっても、全体的にバラエティに富んだ答えが返ってくるのではないか。「嫌いなタイプ」を聞かれているのに「嫌いな個人」を思い浮かべて答えがちだし、ひとはほめるよりも悪口を言う時の方が雄弁になる。そんなことがここにもあらわれてきそうだ。「一体どんないやなヤツか会ってみたい」と思わせるような答えが返ってくるに違いない。

 話を戻して、「猫みたいな女性」は異性に対して非常に魅力的なタイプの筆頭にあげられると言ってよいだろうし、多くの女性は「君は猫みたいだね」なんて言われたら、悪い気はしない。だが、よく飼い主とペットは似てくると言うけれど、猫を飼っている女性が「猫みたい」かというと、それは違う。

 以前こんな経験をしたことがある。かつて勤めていた会社で、ある日、女性ばかり四人でランチを食べにいった。レストランの席につき、ひとりが「うちの猫がね」と口火を切った途端、つぎつぎに「ウチの子もね」と話し始め、飼っていないのはその中で私一人だった。

 彼女たちは相手の話を聞いているふりをしながら、自分が喋るスキをうかがう。いかに自分ちの猫が可愛いか、話すのに夢中で、休み時間がオーバーしているのも気づかないという具合だった。その飼い主馬鹿ぶりには閉口した。むろん、それは彼女たちの一面に過ぎないのだろうが、およそ猫的というにはほど遠い、相好のくずしようなのだ。

 では、本当に猫的な女性とはどんなひとなのだろう。

 ちょっと前、どこかの女性雑誌(家中探してみたが、残念ながら処分してしまったようだ)に、「ペットを飼うくらいなら、その手間とお金を自分のために使うわ」というようなことを答えている外国人女性が出ていた。確か、世界各国のワーキングウーマンに仕事や生活意識に関するインタビューをした記事だったが、あるいはこんな女性が「猫のような」といえるのかもしれないと思った。