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| 猫 の 手 |
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| ぶんぶんぶん - 小説 |
加々見りら今夜はめずらしく酔っぱらってしまった。深夜、帰宅して、化粧も落とさずやっとパジャマに着替えると布団に潜りこみ、そのまま深い眠りにおちた。 〈ちょっとちょっと、起きてくださいよ。早くしないと。大事なおはなしがあるんです、起きてください。わたし、お帰りを待ってたんですから…〉 くぐもった声がして、頬をひたひたっと湿った肉球が触る。ええい、なんだようるさいなあ、まだ真っ暗じゃないの、寝かせてよー。 〈ぅにゃあっ、わたしを払い除けましたね?そうですか、そんならわたしにも考えがあります。ほら、こうしてやるうううううっ!〉 バリバリッ!バリバリバリバリ… わ、なんだなんだ?見回すと暗い部屋の中ででっかい白猫のシルエットがせっせと枕元でシーツに爪を立てている。 「…ぅあ!ちょっとりゅうのすけ、やめてよ、そんなとこに爪立てるの!」 〈いえいえ、りらさんが起きてくださるまで、やめません!バリバリバりッ〉 と、ますます躍起になって爪を研ぎ続ける。ひっつかまえてやろうと手を伸ばしたが、普段はおっとりデブ猫のくせに、するりとその手をかわして、今度は足元 のカーペットをガリガリやりはじめた。猫の鋭い爪が容赦なくカーペットに食い込み、ループが引きずり出されてビロビロになっていくのが音でわかる。 「わーかった!もう起きるからやめてってば!」 がばっと起き直ると、極端に寝起きが悪いので、貧血を起こしてりゅうのすけのそばにへたりこんでしまった。 〈あらあら、だいじょうぶですか?いつもの貧血ですね、そのままじーっとして、頭を低く…〉 と心配そうに覗き込むビー玉のような眼が光る。しっぽをくねらせてすり寄ってきたりゅうのすけを、いつものようにナデナデしてやるとみせかけてがばっと後ろから羽交い締めにしてつかまえた。 〈な、なにをなさいます?離してくださいっ!〉 と身をくねらせてもがくが、そこはも手慣れたもの。いくら巨大デブ猫だってもう逃れられない。 「なんだってこんな夜中に騒ぐわけ?なーにをゴチャゴチャ言ってるのよ!」 〈ですから、わたしがこうしてはなしができるようになったわけをまず聞いていただきたいと…〉 そういえば、さっきからしゃべってるこのくぐもり声は。 「りゅうのすけがしゃべってるぅ〜?」 〈左様でございます〉 もう一度がばっと起き直ろうにも、頭が痺れたように冷たく重たくて起き上がれない。 〈おはなししますから、どうか手を離してください〉 手の力を抜くと、りゅうのすけは顔の真ん前にちょこんと座り、右前足をおもむろに口元まであげて、 〈コホン〉と咳払い。 〈いやいや失礼しました。どうかおたいらになって、あいや、そのままお聞きください。〉 ちょっと緊張気味なのか、しっぽの先がせわしく小刻みにうごいている。あっけにとられてなにも言えなかった。やっと部屋の暗さに目が慣れてきたが、頭はいっそう重くなり冷たく鈍い痛みが走る。 〈まず、りらさんにはこれまで長いことかわいがってくださったこと、心からお礼申し上げます。わたしのようなのろまのデブ猫を、こんな年寄りになっても変わらず慈しんでくださり、感謝の念にたえません〉 言葉を切り、三つ指をそろえてぺこりとお辞儀。光る眼をしばたたかせながらしゃべり続ける。 〈さて、「年取った猫が化ける」というのはお聞き及びの通り、猫は本当に化けることができるようになるのです。ま、いろいろ条件がございまして、まず、生 まれてすぐに満月の光を浴びた純白の猫、しっぽはこのようにすらりとまっすぐで長く、耳が欠けてはいけません。そうして生後 年まで生き延びると、化ける力を持つようになるのです。ケホっ〉 しゃべり慣れないのか、ちょっと声がしゃがれてきた。相変わらず、床から頭が離せないまま、まじめくさったりゅうのすけの顔を見つめる。 「化ける力って、なんなの?」 〈こうしてりらさんとおはなしできるっていうことと、それからこの「猫の手」をお貸しできるってことです。昔からわたしたち飼い猫は、あなたがた人間に養 われ、至れり尽くせりでかわいがられ、時折「猫の手も借りたいね」と言われてきましたが、いつだって何かお役に立ちたいと思いながら、人間のためにできる ことと言えばねずみ捕りぐらいのもの。それも、昨今では喜ばれなくなりました。部屋に出たゴキブリを追いかけてなぶるぐらいがせいぜいで、あれを捕まえて も喜んではもらえなかったですし〉 ちょっとうらめしそうな眼を光らせて、右前足で顔をなでる。 「そりゃ、ゴキブリ食べた口となんかチューしたくないもん!」 〈ああ、そうやっていつも無理やりわたしを捕まえてモーニング・キッスなぞするのはやめてください!猫は舐め合うことはしてもキッスなんぞしません。したいなら彼氏とご勝手にどうぞ〉 「あっそー。悪かったわね、フン」 〈はなしがそれてしまいました。急がねば。なぜ急ぐかといいますと、この化ける力というのは、今夜限り、あの満月が隠れるまでなのです。次に化けられるのは 年後、いくらわたしでも、そこまで長生きできそうにありません。それでも、今夜こうしてりらさんとおはなしができて、こんなに嬉しいことはありません。うっうっ〉 りゅうのすけは極端なナデ肩をひくつかせて泣いているようだった。 「な、なんだよ、泣かないでよ。もっといっぱい話そうよ、せっかくおしゃべりできるんだから。」 励ましてやると、りゅうのすけはピンク色の鼻先を天井に向けて、しばし涙がこぼれるのをこらえているようだった。そんな姿を見ると、なんだかせつなくなって鼻がツンときた。 〈あいや、泣いている場合ではありません。急ぐというのはこの「猫の手」をお貸しする件についてなのです〉 と、たった今ゴシゴシと涙をぬぐった右前足を差し出したので、思わず湿ったやつをにぎって握手してやりながら、 「これを貸してくれるって?借りてどうすんのよ」 コンナモノ、という言葉はあわてて呑みこんで。 〈それを考えていただきたいのです〉 シェイクされている前足を迷惑そうに引っ込めながら言う。 〈わかりやすく言えば、りらさんのお好きな『必殺仕事人』のようにですね、わたしのこの「猫の手」が、りらさんの願いを叶える、というわけです〉 「へぇ、じゃあこのボロマンションをぴっかぴかの新築にしてくれちゃうとか?」 〈いえ、そういう力は残念ながらありません。この「猫の手」が、仕事をしてくるわけです。〉 「じゃ、マウス握ってマックで仕事するの?」 〈やっ、そういうんでもなくって、だからつまりその『必殺仕事人』ならぬ『引っ掻く仕事猫』とでもいいましょうか、りらさんの復讐を、請け負うわけです〉 きっと何時間も、何日も日向ぼっこしながら考えたダジャレなんだろう、得意げにヒゲをうごめかせているりゅうのすけに、うっかりダッセーとは言えない。ウケてやらねばだ。 「かっははは、『引っ掻く仕事猫』ねえ!かはは、は。で、アタシの復讐を請け負ってくれちゃうって、どういうこと?」 〈はい、それなんです〉 大事な密談でもするように、ずいとにじりよって顔を近寄せる。眼の光の中に青白い炎がゆらめいて、生あたたかい息が顔にふりかかる。年取った猫の息はくさい。 〈シノブさんが復讐したい相手の名前をリクエストしてくだされば、瞬時にこの「猫の手」が仕事をしてくる、つまりその憎き相手をめっためたに引っ掻いてくる、というわけなのです。ほれ、そのように〉 自信ありげに顎をしゃくった先に視線を向けると、猫の三角耳越しに、さっき台無しにされたカーペットのビロビロが見えた。 「あちゃ〜、あんなにして。ねっ、『復讐』はいいからサ、あれを『修復』するってワザはないの?」 〈いやそれは残念ながら…〉 顔をそらしてもごもご言っている。ひとのギャクは通じないところはやっぱり猫だ。 「ったくしょうがないなりゅうは」 〈ま、ですからそのウサを晴らしに、誰か嫌なやつの顔でも背中でもこう、バリバリッと。何人でもOKですよ。満月が出てる間は〉 「ウサったってねえ。別に、そのカーペットがまっさらの元通りになってくれたらいいんだけどね。それ抗菌加工の純毛で高かったのに、しょっちゅうそこらにゲロ吐くし、まったくもー」 困ったなとこくびをかしげて耳のうしろなんか掻いてる。 〈まぁまっ、そのおはなしはそれとして、どうでしょう。誰に復讐しましょうか?時間がないんですよ〉 さらに青白い炎とくさい息がにじり寄る。思わず起き直ってりゅうのすけの光る眼を見つめ、じーんと重たい頭で考える。 … 復讐ねぇ。いやな奴?今さら昔別れた男に復讐したいとも思わないし、今どこでどうしてるか興味すらないなあ。親父とはしょっちゅういがみあってたけど、今 こうして離れて暮らしてみればどうってこともない。誰かを恨むったって、もう時効。忘れちゃったよ。いまは平和すぎるほど平和な日々だ。あ、会社のセクハ ラおやじの顔でもやってもらおうか。けど、あのオッサンが傷だらけで一層気持ち悪い顔になったのも見たくないし、きっとまた職場でぶつくさ愚痴るでしょ、 見えない背中を引っ掻いてやったら?でもその醜い傷をわざわざ見せて歩きそうじゃん、それこそセクハラだ。それに、かわいいりゅうのすけの爪が、あんな奴 の皮膚や血で汚されるなんて、ゴキブリぐらい嫌だ! 「あのねえ、りゅうのすけ。これといって復讐してほしい相手ってのもないんだけど。せっかく言ってくれてるのにわるいねえ」 突然、りゅうのすけの眼の炎の色が紫に燃え上がった。鼻息が荒い。 〈そんな!ああもう、時間がないっていうのに!いつも「好き嫌いが激しいから嫌いな奴が多くて」って言ってるじゃないですか!このごろ時々泣いてるでしょう、いつも彼氏に泣かされてるんでしょ?いいです、わたしがあやつをやっつけてきます!フーッ!〉 自分の言葉に興奮して、総毛を逆立てると一挙に三倍、ハスキー犬ぐらいに巨大化して、威嚇のフーを発した時にはもう遅かった。ひょいっと飛び上がって視界から消えた後には、一瞬年取った猫のくさい息が漂い、化け猫になったりゅうのすけは消えた。 振り向いて窓にかけ寄りカーテンを開けると、空がほの白んでいるのが見えた。月はどこに出ているのか、もう隠れてしまったのかこの窓からはわからない。 呆然として、ベッドに座り、ガンガンする頭を抱え込んでしまった。なにをとち狂ってるんだ?りゅうのすけ。化けたりなんてしなくていいのに、おまえとはな しができただけで楽しかったのに。いくらけんかしても泣かされても彼に復讐だなんて考えたこともないの。本当に引っ掻いてくるんだろうか、あんなにばかで かくなったりゅうのすけに引っ掻かれたら、傷つけるどころか生死にかかわるんじゃないのか?りゅうのすけにそんなことさせたくない。 始発電車の警笛、カラスの鳴き交す声が聞こえ、新聞が配達された気配に顔をあげると、ベッドの真ん中でいつものように丸くなって眠っているりゅうのすけが、ちゃんといた! 「ちょっと、りゅうのすけ!りゅうってばこら、やっちゃったの?引っ掻いちゃったの?ねえ!」 揺り起こすと寝ぼけた顔をあげて、 「にゃ」 「にゃ、じゃなくて、なんとか言ってよ、りゅうのすけ!」 眼やにのたまった顔は、まるで普段と変わりない。揺り動かされてもなすがまま、のんびり大口を開けてあくびした息がくさい。その場に寝ころがったまま顔を 洗い始めた。いつものしぐさ。くいくいと右前足を使って閉じた瞼の外側から内側へ向かってなで回しては舐め、なで回しては舐め、器用に顔を洗っている。だ んだんに範囲が広がって耳の後ろ側からなで回している様子を見るていると、あれは夢だったんじゃないかと思えてきた。平和な朝の、いつものりゅうのすけ。 やっぱり夢なのか。顔洗いが終わり、右前足の肉球や指のまたを丹念に舐めだしたら、ふとそいつをつかんでよく見てみたくなった。 「猫の手」を使って復讐してきたら、この爪には彼の服の繊維や千切れた皮膚や血がついているかもしれない。肉球をクッと押せば、ジャックナイフのように鋭い鈎爪が鞘から飛び出すのだ。舐めている右前足を捕えようと手を伸ばしかけた時、電話が鳴った。 「オレ。夕べ変な夢見ちゃって。りらんちの猫が訪ねてきてさ、ずっとしゃべってたんだよ。一緒に酒飲んだりしてさ。変な夢だろ」 「ああ、猫が気まぐれでよかった」 「なにそれ?」 「ううん、なんでもない」 ゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえ、りゅうのすけは満足そうに眼を細めた。 |

