■新着コンテンツ
- みんな仲良く育ちなさい。
- さて、これは何でしょう?
- 夜の時間
- 村上春樹の「1Q84」 発行部数200万部に
- dena、「趣味人倶楽部」で自分の小説や詩など公開できる「創作広場」を開設
- ケータイ小説 - candy*camdy
- 野村進のノンフィクション100選:和書その2 - 現代プレミアブログ
- 朝日新聞、自社開発の携帯サイト向けCMSを外販 文春「Number」が採用
- 文藝春秋が携帯公式サイト「Numberモバイル」開設
- クレアキャット[テレビ朝日]大人のソナタ 2009/07/05(日)19:00放送 ...
- 「与謝野晶子物語」cd完成
- レッド×ムービックが放つ魔女の血を引く少女達の物語 - 『Which Witch?』
- 西田敏行と竹下景子主演、ラジオドラマ高橋留美子劇場
- 森絵都さん:出版記念イベント 毎日ホールで4日まで
- 写真雑誌LP by photogenic person's peace: 「ZINE'S MATE TOKYO 2009 ...
| 阿波おどり考 |
|
|
| ぶんぶんぶん - 紀行 |
福代裕康踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々……。「よしこの節」の囃唄でおなじみの阿波おどりは、いまや世界に進出している。 昨夏、阿波おどりを徳島市に見る機会を得た。本場の阿波おどりに接してみて、なるほど、世界に進出するだけのことはあるなと思った。「歴史は足にて知るべきものなり」という。これは、江戸時代に『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を著述した秋田孝季のいったことばであるが、まさにそのことを体験した思いだった。 阿波おどりの起源については、蜂須賀家政が天正十五年(一五七八)に徳島城を完成させたとき、無礼講で町人たちがお祝いに城内を踊り回ったことによると観光パンフレットなどにある。また、精霊踊りであったものから発展したという説もある。 いずれにしても、染料としての藍で経済力をもった阿波の藍商人が、踊りを発展させ、豪華なものにした。藍は肥沃な土地でないと育たない。阿波の北方といわれる吉野川流域が、日本最大の藍栽培地帯となったのは、吉野川が氾濫してもたらす肥沃な土壌のおかげである。元禄時代に全国的に木綿が普及し、その染料として藍の需要が高まり、阿波の藍商人は巨額の富を得たのである。 それはちょうど、ナイル川とピラミッドの関係に似ている。ナイル川が毎年定期的に氾濫し、下流地帯に肥沃な土壌を形成、豊かな実りをもたらせた結果、古代エジプト王朝を繁栄させた。それがあのピラミッド群につながったように、阿波おどりは、富裕な藍商人を生み出した四国三郎といわれる吉野川と深い関係があったことになる。 徳島市在住の丁氏夫妻に案内されて「アスティとくしま」という、とくしま体験館・徳島工芸村のあるコンベンションに案内された。そこで二人のコンパニオンが阿波おどりの踊り方を説明してくれた。 わりあいと簡単そうな振りのなかにも、男と女の違いが明確に区別されている。 「簡単に踊れますよ」という説明で、まず手の振り、ついで足の運び方を分解し、最後にそれを合わせると阿波おどりになることを要領よく教えてくれる。うまいものだ。二人のコンパニオンが左右に別れて踊り出したが、あの手つき、腰つき、膝の曲げ方、足の蹴り方など、とてもすぐできるものではない。年季が入っている。単純であればあるほど、あの独特のムードを出すのが、かえってむずかしいのだ。 ちょこっと説明をきいて、すぐだれでもムードたっぷりに踊れるのなら、わざわざ徳島まで見に行くことはない。さすが本場の人の踊りは違うと感心させられ、明日の夜の桟敷席に繰りひろげられるパフォーマンスに思いを馳せた。 藍場浜演舞場は、徳島駅のすぐ近くで、そごうデパートと新町川にはさまれたところにある。桟敷の長さは一〇〇メートル弱ぐらいだろうか。一〇メートルぐらいの演道の左右に各一〇段ずつせり上がった桟敷席が連なっている。 八時ごろ、桟敷席に入った。すでに賑わっていた。一つの踊りの団体を連という。五〇人くらいから、七〇〜八〇人ぐらいが多い。なかには一二〇人とかそれを超えるものもある。連の先頭には、竿の先には連の名を書いた二つの細長い提灯を持った人が行く。その後に、思い思いの趣向を凝らした先導グループと鉦と太鼓を中心としたお囃子組がある。さらにその後に、踊り手の組が続く。男衆の組、女衆の組と分かれている。 やはり女衆の踊りがいい。右足を蹴って上げたときに、右手が前にくる。ここが西洋の踊りと根本的に違うところだ。西洋の踊りは走るときのように、前に足が出た側の手は後ろに振られる。現在、歩いたり走ったりするのと同じ動作である。もっとも江戸時代までは、日本人の歩き方は、右足と右手が同時に前に出るものであったという。 足を蹴るとき、勢いよく蹴り上げるようにしないと躍動感が出ない。勢いよくないと着物の裾が波打たないからだ。手の指は、体操をするときのようにキチンと揃えられておらず、滑らかに前に倒れる。後ろに振られたとき、一瞬人差し指がピンと真上で伸びるようになる。一連の指の動きは、あたかも田の稲が風に揺れるようにしなやかだ。なんともなまめかしいくらいにまぶしい。これが大勢であればあるほどみごとだ。揃っていないようで揃っている。日本の女性にしかできない表現力である。 ここがバレエの踊り方と根本的に違うところだ。 女衆の代表的衣装は、阿波おどりゆかた、鳥追笠、歯の薄い高下駄である。鳥追笠は、い草でつくられ、円形になっているものを二つ折りにしたような形になっている。どのような構造で頭に固定するのかわからないが、あごのところに横にひもが渡るようにして結んでいる。笠の中央より少し前に頭を入れ、平らにかぶるのではなく、前のほうを下げ、後ろを上がらせるようになっている。この形といい、かぶり方といい、なんともなまめかしい。 阿波おどりのゆかたの色や模様は、まさに千差万別。淡い色調のものから、かなり強烈な模様や色までそれぞれに目を楽しませてくれる。足は勢いよく地面を蹴ってゆかたの裾を波打たせるが、足の素肌はあまり見せないのがよしとされる。 こうしてみると、露になっているのは手の部分だけである。したがって素手のしなやかな動きが、いっそう強調されている。 そこまで計算してのことだろうか。むろん上手な連の踊りでなければならないことはいうまでもないが、とにかく女衆の踊りはなまめかしい。ここには日本の女の色気が集約されているようだ。いきいきとしたしなやかな色気は、肌の露出が多いバレエやヘアヌードが束になってもかなわないものがある。 阿波おどりが世界各地でパフォーマンスして、圧倒的に受けるのは、この日本的なまめかしさに惹かれるからかもしれない。外国人がどこまでそのことを理解して受け止めているのかわからないが、少なくともバレエやヌードとは異質の、露でない色気があることをエキゾチックなもののなかに見いだしているはずだ。 これはひとりの天才的な演出家が編み出したものではない。長い年月をかけて阿波の武士と民衆と藍商人が営々として築きあげたものだ。 まことに「歴史は足にて知るべきものなり」である。 |

